毎日をできるだけgoodに~震災直後の吉井和哉が伝えた「何か」~

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「あの日」から9年が経ったー


「#2011年3月11日14時46分あなたはどこで何をしていましたか」

こんなハッシュタグが、Twitterのトレンドに登場していた。


僕の脳裏には今でも、当時の状況が鮮明に残っている。
その記憶は、吉井和哉の音楽とリンクしている。




当時からコールセンター業に従事していた僕は、冬季限定のスポット業務を管理するため、湘南からさいたま新都心まで通っていた。
距離にして、電車で往復4時間。平日は地元で太陽の光を浴びた記憶がない。


長い電車での時間を過ごすため、iPodには容量ギリギリ一杯の音楽を詰め込んでいた。
特に再生していたのは、吉井和哉(ソロ)。


「YOSHII LOVINSON」時代は、楽曲全体にどこかモヤモヤとした迷いのようなものが感じられたものだ。
ここで断っておくが、僕はそんな迷いにすら、たまらなく魅力を感じていたのだ。
「WHITE ROOM」は、バンド活動に行き詰まっていた2005年の僕を支えてくれたアルバムのひとつだ。


しかし、やはりTHE YELLOW MONKEY時代の「あの突き抜けた感じ」を待ち焦がれていたのもまた事実だった。
「ビルマニア」を収録したアルバム「VOLT」に、そんなポジティブな変化の兆しを僕は感じていた。
しかも次回作である「The Apples」は、ほぼ全曲の楽器が、吉井氏自らの演奏だという。
…待ち遠しくて仕方なかった。



ー2010年12月28日。

吉井氏にとっては恒例の武道館ライブだった。
ラストに披露されたのが「LOVE & PEACE」だった。

"もうこれ以上、悪い出来事が君と僕とに起きないように"(吉井和哉「LOVE & PEACE」)。
スクリーンに映し出されたこのフレーズが、その数か月後、大切な意味を持つことになろうとは…。



ー震災、当日。

3月15日をもって終了を迎える窓口で、僕は残された時間を嚙みしめながら業務を行っていた。
200名近い人数が、25階のフロアにひしめき合っていた。


あと2時間で今日も窓口終了…そう思っていた矢先、信じられないくらいの揺れが僕たちを襲った。
ビルの上層は、ことさらに揺れる。
皆でパーティションが倒れないよう、必死で抑えた。

数十秒続いた揺れのあと、船酔いのような状態になり、嘔吐してしまうメンバーもいた。
管理者はそれぞれ、オペレーターさんに声をかけ、少しでも不安を和らげることにつとめていた。


オペレーターさんには全員早退してもらったが、僕も含め、遠方から出社している管理者10名程度が帰宅できない状況になった。
実はテレビも見ることができない環境で、メディアの情報がほとんど入ってこなかったこともあり、近くの居酒屋でお酒を飲みつつ食事する位、呑気に構えていた。


簡易毛布の支給を受けるためにさいたまスーパーアリーナに入ったとき、僕たちは事の重大さを知った。
通路に備え付けられたテレビから、数々の衝撃的な映像が眼に飛び込んできたからだ。
津波から逃げるように走る車、町全体を覆いつくすほどの火災…


日本は、とんでもないことになっていた。



翌日、超満員の京浜東北線に押し込まれてから、自宅までおよそ6時間は電車で過ごした。
帰宅後、妻が用意してくれていたおにぎりとお風呂が本当にありがたかった。

首都圏ですらこのような状況なのだから、東北の皆はどれほどの困難に直面しているんだろう…
現地からの生々しい報道が、そんな想像を日々上回っていく。



ー3月18日。

ミュージックステーション。
そこには、全身グレーの衣装に身を包んだ吉井和哉がいた。

時勢をかんがみてか、一瞬番組を間違えたかと思うほど、簡素な演出だった。
それぞれの出演者が、被災地への思いを語りながら曲を披露していく。

ここで、僕は「FLOWER」をはじめて聴くことになった。


公式ブログを通して、発売予定の「The Apples」の最後を飾る曲がこの曲であることは知っていた。

吉井氏は、当日歌詞を一部変えてこの楽曲を披露した。
「毎日はそれなりにgoodだ」から「毎日をできるだけgoodに」(吉井和哉「FLOWER」)

より深い意味を帯びた歌詞は、その後のツアーでもそのまま披露され続けた。



ー6月2日。

NHKホールで、僕はなんとほぼ正面、かつ二列目でこの曲を聴くことになった。
吉井氏からたった5メートルの距離。最高のギフトだった。




今でも、3月11日は必ず毎年「FLOWER」を聴く。
そして被災地に思いをはせる。

震災の約一年半後、娘が産まれた。


消える命、新たな命。
…僕は今、たまたま生きているだけだ。
急に終わっても不思議ではないし、誰も「その時」がいつ来るかは知らない。


一生の長い・短いは関係ない。
どこかの大魔導士が訴えたように、残りの人生が50年だろうと5分だろうと構わない。まぶしく燃えて生き抜く。
僕にとって、3月11日はそう思い直させてくれる日なのだ。



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